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【数量限定】22色から選べる 30ヴェルファイア/アルファード(15/1~)サイドテーブル



都万県 或ハ都万院トモ云

都万県ハ東ヨリ入処 上西里ノ□見ヨリ一里塚ニカカレリ 東ノ山 保土□ 柄尾 末路丹波尾ナント云山ヲカケテ′鴨ノ里ヨリ□木ノ山里ニ及ヘリ 昔ハ海辺モ□木ノ神嶋 津□ノ白□嶋ニ至レリトソ註① 海濱ノ巨岩ヲ岸ニ上リ岸ニ下リテ 海ニ隨ヒテ 北ニ行汀ニ一村アリ 釜屋ト云 蓋シ潮ヲ焼カ故トソ 西ニ松樹列ナリ長洲註②ニ菩提樹アリ北ハ皆田園ニシテ 東西ハ遠山也 東ノ山ニ隨ヒテ北ニ行 其半腹マテ岾(コ)ニシテ 絶頂ハ巌(イワホ) 竝ヒ峙(ソハタ)テリ 此ヲ高田山ト云 西ノ麓ニ一林アリ 高田明神ノ社アリ 伝テ曰 此峰ニ鳴沢(ナルサワ)ノ池註③ト云アリ 人至ル事ナシ 故ニ水源ヲ知者ナシ 其末流ハ社ノ左リニ出ス 馬牛ニ至ルマテ□事ナシ 谷川ヲ渉リテ社ニ行 左右喬木古タリ □起ト称スル物二□アリ 鄙俗言ニ足ラス 又別ニ一□有リ 其ノ表色ハ極テ美ナリ □頭朽テ 題号ヲ失ス 仮名ノ序アリ 半ヨリ末残レリ 読テ考ルニ □阿ト云モノ此社ニ一宿シテ 花モ夏ニ成沢ノ池ノ蓮哉 ト云夢想ヲ見テ 都ニ上リ 公卿貴人ノ数奇ニ請フテ 百首ノ和歌ヲ□セシテ 此社ニ送シトナリ是□阿上人ハ金蓮寺ノ僧トソ 至□四年ノ比ナリケル 時ノ歌人ハ 准三后註④ 前ノ関白註⑤ 前ノ参議註⑥ 源ノ義将註⑦ 同ク高秀註⑧ 菅原秀長註⑨ 卜部兼□註⑩ 藤原忠□註⑪ 神祇□ノ兼敦註⑫ 大中臣行広ノ女註⑬ 平ノ貞秀註⑭ 伴ノ師綱註⑮ 釈阿上人註□等 其外云□多シ多クハ此地ノ名ヲ読ケル歌ナリ 彼ノ□阿ノ興行ニテ 所ノ□ヲ語レルト見ヘタリ 筆法卑カラス 最モ遠嶋ノ珍宝也



都(つ)万(ま)県(のあがた)〈或は都万院とも云う〉

都万(つま)の県(あがた)は′東から入って行く□であるB上西(かみにし)里の□(くら)見(み)という所から入り′宇(う)多(た)木(ぎ)の一里塚へ差し掛かった所が[周吉郡と□地郡の境界で′都万の県の]始まりであるBここから東の山′保土□(ほどはた)′柄尾(からお)′末路(せんじ)′丹波尾(たんばお)などと言う山□に掛けてが[都万の東限で′その山□の先端は]鴨(かも)の里から□木(たくぎ)の山里にまで及ぶのであるB昔は海□の方も′□木の神嶋から′津□(つど)の白□嶋(しらとしま)に至る範□が[都万の南限]であったBその南から′つまり都万の入海から入れば′海岸の巨岩の所で船を寄せ′岸に上がるBその岩場から岸□に下り′その海際を進み′北に行くB入海の汀には一村があるB釜屋(かまや)というBおそらく浜で潮を□いた[製□]ゆえの村名であろうB西の方には松樹が連なっていて′長洲(ながす)には菩提樹が生えているBその北は皆田園であるB遥かに東西を見ると′遠方に山があるB東の山沿いを北に行けば′山の中腹まで草木が繁茂するが′頂上となると巌石が峙(そばだ)ち列なっている山があるBこれが高田山であるB

高田山の西麓には′一群の林があり′高(たか)田(だ)明(みょう)神(じん)の社があるB□承では′この峰に鳴沢(なるさわ)の池というのがあるBだが人が至ったことはなく′その水源を知る者はいないB水流の末は社の左方に出るB[聖なる水のため]馬や牛に至るまで′この水を□むことはないBこの谷川を渡り′社に□詣するBその左右には古い喬木が生え茂っているBこの社に□起と□ する二□が□されているBだが鄙にして俗で′言うに足らないものであるBまた別に一□があるBその表□の色は′極めて優美であるBだが□頭は朽ち′題□は失われているB□名の序があり′半ばから末尾の部分までが□っているB

この一□を□んで考えて見るに′これは□阿(じょうあ)という者が′この社に一宿し′夢中に「花も夏に成(なる)□(さわ)の池の蓮(はちす)かな」という歌の想を得たことから始まっているB□阿は早速′都に上り′公卿貴人の□奇を請い′百首和歌を詠じて′この社に奉納したものであったB□阿とは金蓮寺(こんれんじ)の僧であるというB至□四年(1387)の頃のことであるBこの時の歌人は′准三后(二□良基(にじょうよしもと))′前□白(九□□□(くじょうつねのり))′前□議(菅原長綱(すがわらながつな))′源(みなもと)義□(よしまさ)(幕府管領(かんれい)の斯(し)波(ば)義(よし)□(まさ))′同高(たか)秀(ひで)(近(おう)江(み)守護の佐(さ)□(さ)木(き)高(たか)秀(ひで))′菅(すが)原(わら)秀長(ひでなが)(菅原長(なが)綱(つね)の息)′卜(うら)部(べ)兼(かね)□(てる)′藤(ふじ)原(わら)忠(ただ)□(より)′神(じん)祇(ぎ)□(ごん)の兼(かね)敦(あつ)(卜部(うらべ)兼(かね)敦(あつ))′大(おお)中(なか)臣(とみ)行(ゆき)広(ひろ)の女(むすめ)′平(たいらの)貞秀(さだひで)′伴(ともの)師(もろ)綱(つな)′□(しゃく)阿(あ)上人(しょうにん)などで′その他′まだ多くの人□がいるB歌の多くは′この地の名所(歌枕)を□んだ歌であるB彼の□阿(じょうあ)が′都で和歌の興行を執り行なう際′この地の名所の有□を語ったものと思われるBその歌□の筆法は卑しくないB極めて優れた遠島の珍しい宝であるB


ツマノ-アがタはツマノ-インとも言う. ツマノ-アがタは東で入って行く所だ. 加美西佐藤の倉見という所で入って行く,ウタギのヒトサトツカにかけた所が [スキー君とオチグンの境界で, ツマノ-アガサの] 手始めだ. こちらで動産, くるみ羽田, カーです, 須恵だ, タンバオなどで言う山山をかけた所が [ツマの東限界で, その山山の船団は] カモノ-サトで他区期の山村にまで至るのだ. 昔は浜辺の方も, 他区期の加美シマから, ツドのシラトシマに至る範囲が [ツマの南側限界]だった. その男で, すなわちツマのイブヘで入って行けば, 海岸の巨岩がある所にお腹を大鼓, 海岸に上がる. その岩がある所でアンビョンに下がる, その浜辺を進む, 北に行く. イブヘの物価にある村がある. カマヤラする. 多分浜辺で助手を泰運 [製塩]に由来する村名であるでしょう. 西側は松が竝ぶある, 長たらしいモレトップには補剤数が出ている. その北は皆田園だ.

遠く東西を見れば, ウォバングに山がある. 動産に沿って北で行けば, 山重複まで草木が繁茂だが, 正常になれば岩石が高く湧いて竝ぶある. これがTakada山田. Takada野馬西麓には一軍の森がある, タカダダ廟宇陣のジェントルマンがいる. 戦勝ではこの峰に渡り場社との池というゴッイイッダ. しかし人の行った事はない, その水原が分かる者がいない. 水流の終りはジェントルマンの左に出る. [神聖な水のため] 馬や牛に至るまで, この水を飲む事がない. この谷の布地を向こう, 神社を参拜する. その左右には古い喬木が生い茂るある. このジェントルマンに延期と称する二冊が残っている. しかし田舍臭い俗っぽい, 言及するに値することがならない. また別に一冊がある. その表装の色はとても優美だ. しかし巻頭は腐る, 第号は消えた. カーや序文がある, 中間で末尾の部分までが残っている.

この恨み圏を読む考えて見たら, これはジョウア, という自家, このジェントルマンに 1泊して, 夢の中に「花も夏に渡り場社と池の蓮華だな」という歌の構想をオッは日から始めるある. ゾウアは素早くミヤコに上がる貴人たちに風流を請じて, 百数の和歌を詠ずる, このジェントルマンに奉納したのだった. ジョウアはコンレンジのお坊さんと言う. シアトー区 4年(1387) 頃の仕事だ.この時の佳人は準三位(二条優Yoshimoto), 全館百(区ですよ

ウツネノ-リ), 前站の(スがワラノ-ナがツだね), 源要シマ社(幕府官令のシヴァ要シマ

死), 同タカヒデ(オウミノ-シュウで佐□木タカヒデ), スがワラヒデナが(スがワラナがツや

義息子), ウラベカネテで, フジワラタダヨリ, ジンギゴンノ-カネアツ(ウラベノ-カアツ), オオナカトミユキヒへの娘, タイラノ-サダヒデ, トモノ-モロツや, シャクアショウニンなどで, その外にも, やっぱり多い人がいる. 歌の大部分は, その地域の名所(ウタマクだと)を詠じた歌だ. そのジョウアが, ミヤコで和歌の興行を行う時, その地域の名所の状況を話したことだ考えられる. その歌集の筆法は悪くはない. とてもすぐれた原図の物珍しい宝物だ.


         

     □★ 都万県



註①′天健金草神社に出ることは □元(カンゲン) 4年(1246)の古文書に 「都万院堺事」で 四至が記録されるある. その 東限は 「保(号)土(ドノ-)鼻(一つ), 柄(カラノ-)峯(押すのね)」, 西限は 「神(間)船(後や)岸(岸),方(カタ)着(ツキ)石(ノイ)窟(わなの)」, 南限は 「坐(定木)着(ツキ), 形(カタ)島(シマ), 白(酸っぱい)□(土), 神(間)島(シマ), 苞(豪雨)□(期)島(シマ)」, 北限は 「末(強い)路(ジノ-)弍(お前)本(魂)□(スギ), □(ヤッケ)杉(スギ)」とある.

註②′このツマのモレトップには今, 松原が竝ぶ 「屋(野党)那(私)義 松(マツ)原(する)」という名所になるある. 以前にも話したが, 州と 洲は意味が違う. 『□州視□合紀』に使われた 「洲」は間故友の 長(出る)洲(ス)(天(多分)神(加美)義 洲(ス)崎(サキ))′元(間)谷(野党)義 砂(吹くが)洲(ス)′都(ツ)万(長芋)義 長(出る)洲(ス), 五(故)箇(カー)義 面(オモ)洲(ス)義 4ヶ所だ.

註③′鳴(渡り場)沢(佐和)ノ(櫓)池(これするように)増えた伝説の中の池だ. これに対しては 「名所和歌」の項で, 再び説明する.

註④′准三后は 三后に準する高位のあいさつ. 二(お前)□(ジョウ)良(ヨシ)基(モットー)を言う. 「名所和歌」 項で説明する.

註⑤′前ノ□白は 前□白 左大臣 九(区)□(ジョウ)□(ツだね)□(老吏)を言う. 「名所和歌」 項でまた説明する.

註⑥′前ノ□議は 前□議 正二位 式(シキ)部(ブノ-)大(多異)輔(乳牛)義 菅(スが)原(来る)長(出る)綱(ツや)を言う.

註⑦′源(源)義(ヨシ)□(マーサ)増えた足(アシ)利(カーが)義(ヨシ)□(ミツ)義側近, 幕府 管領である 斯波義□を言う.

註⑧′同高秀(タカヒデ)増えた佐□木高氏(タカ優だ)(道□(助ける))の息子で, 近江守護 佐□木タカヒデを言う.

註⑨′菅(スが)原(来る)秀(ヒデ)長(出る)増えた 前□議 菅原長綱の息子. 富と同じく, □議になる, 正二位式部大輔で死んだ.

註⑩′卜(トモ)部(麻布)兼(カーだね)□(側で)増えた □三位 卜部朝臣兼□を言う. 二□良基の 執事, 家司だと言う.このカネテルは 斯波義□わ親しかった.

註⑪′藤(富士)原(来る)忠(乗る)□(料理)増えた □議 鷹司宗平の息子で, 正四位下行で 左(死)近(河野)衛(に)□(ゴンノ-)中(チュウ)□(ジョウ)載せる.

註⑫′神(チン)祇(期)□(坤)義 兼敦(カネアツ)増えた 卜(トモ)部(麻布)兼(カーだね)□(側で)義息子だ. □四位上行で 神(チン)祇(期)□(ゴンノ-)大(多異)副(フク), かたがた右(右)馬(バノ-)頭(加美)′信(酸っぱいが)濃(老奴)□(ゴンノ-)守(加美)だ.

註⑬′大(来ます)中(ナカ)臣(トミ)行(Yuki)広(ヒーロー)義タルウィギョングリョックは不明や, その歌は 『新後拾遺集』『新葉集』にある.

註⑭′平(タイロノ-)貞(暮す)秀(ヒデ)増えた室町幕府 評定衆の一人だ. □五位上で 前(サキ)丹(ノ-タン)後(河野)守(加美)だ.

註⑮′伴(トモノ-)師(モロー)綱(ツだね)増えた 足(アシ)利(カーが)義(ヨシ)□(ミツ)義グンスブだった. 後に嫁入りして 梵(本)□(土偶)庵(中)といった. 連歌の名手に知られる, 救(キュー)□(間)・周(シュウ)阿(児)・梵(本)□(土偶)庵(中)に竝称されるあった.

註□′□(シャク)阿(児)上(ショウ)人(ニン)銀 時宗 四□派. 京の 金(コーン)蓮寺(レンジ) 僧侶だ. 四□道場には 梵阿(本よ)・重(c右)阿(児)・相(小雨)阿(児) など熟逹した 連歌師が集まって来た. その中の一つだ.



按 □地郡可有天健金草神祠 未知其処 豈此神歟 健金高田和訓相近也 訝書以待知人

社ノ山ニ連ナリ 峰接ハカリテ幾重モ立リ 其西ニハ田園寛ク 一川流レテ中ヲ通レリ 田園ヨリ西ノ方 山長ク水遠シ 小村処□ 松竹ノ陰ニ茅屋アリ 泉村西里ト云註① 山ニ次テ千光寺アリ 山腹ニ寄テ立リ 林宗ト号スル神主アリ 彼ノ豊前守カ諡(オクリナ)トソ 寺ノ麓ヨリ東ニ入ル処 乃チ都万ノ本□ナリ 西ノ岡ニハ八幡宮アリ註② 松杉又老タリ 此ヨリ里長 村老ノ屋 □ヲ連ネテ東ニ長シ 田□ヲ南ニ行ハ 向ヒニ奈森(ナモリ)ノ古城アリ 峰秀テ尾ノ上高シ 城跡ノ残石多シ 彼ノ彌次□義秀カ住シ処ナリ 東ノ山ヨリ一川流ル 水上ヲハ植(シテノ)池ト云註③ 天旱ト雖トモ絶ル事ナシ 西山ノ外ハ海ニシテ恩部(ヲンヘ)嶋アリ註④ 此ヲ籬カ島ト号シテ 彼ノ准三后ノ詠セシ嶋也 小山ヲ隔テ海ニ臨テ 大津久ト云浦アリ 本□ヨリ北ノ山ニ登テ山頭ヲ攀行ハ 形(カタ)□(ツク) 岩窟(イハヤ) 紙(カン)船(フナカ)崎(サキ)と云 東ニ行ハ上西ノ燕(ツバメ)ニ至ル 或人ノ曰 旧(モト)都万妻(ツマメ)ト書 昔シ都万ノ県主ノ旧妻ノ領地ナリトソ 又中途ヨリ北ニ分レテ 五箇ノ都万路村ニ出ス 又山頭ヨリ北ニ越レハ 那隅村ニ至ル 凡此□ハ地饒(ユタカ)ニシテ 田園[ヨク] 境広シテ人富リ 都万院ト号スルハ 昔シハ天子ノ御領ナルカ故トソ 彼ノ西□ノ城主ト威ヲ争ソヒシ県主アルハ 境之□ニ人富カ故ナリ



考えるところ′□(お)地(ち)郡(ぐん)は天(あま)健(たけ)金(かな)草(かやの)神(かみ)の祠が有るべき□であるが′未だその有るべき場所を知らないBあるいは此の高田の神であろうかB健(たけ)金(かな)と高(たか)田(だ)との和訓は′相近いものがあるBさてこう書き記すのだが′なお怪訝(けげん)であるから′さらに知る人の言を待ちたいB

 高田社の山に連なり′なお幾重にも嶺が□がり′聳え立つB西には田園が□がり′一川(都万川)が田園の中を流れ下るB田園から西の方は′山□は長く川水も遠く′小さな村□が諸□に点在するB松林や竹林の陰には茅屋があり′それが泉村(いずみむら)や西里(にしむら)であるB

 山が□く所に千(せん)光(こう)寺(じ)があるB山の中腹に寄り添うようにして寺が立つBその寺には林宗と□する位牌(いはい)があるBそれは(佐□木□政(きよまさ)に滅ぼされた)豊前守の諡□(おくりな)であるというB寺の麓から東に入った□が′都万の本□であるB西の岡には八幡宮(今の天健金草神社)があり′古い松や杉に□まれているB本(ほん)□(ごう)は里長や村老の家屋が軒を連ねて′東に長く□ぶB田の径を南に行けば′向かいに奈(な)森(もり)の古城が見えるB奈森(なもり)の峰は秀でて′尾根も高いB城跡には□石が多いB豊(ぶ)前(ぜんの)守(かみ)の息′彌(や)次(じ)□(ろう)義(よし)秀(ひで)が住んでいた□であるB

 東の山から一川(都万川)が流れるB川上には植(しで)池(のいけ)(幤(しで)の池)があるB旱天(ひでり)になっても′その水流の絶えることは無いB西の山の外は′もう海であるB沖には恩部(おんべ)嶋があるB籬(まがき)嶋(のしま)と□し′彼の准三后(二□良基)が歌詠した島であるBさらに西′小山を隔てて海に臨む所に′大津久(おおづく)という浦があるBその本□から北の山に登り′山頭を越え行けば′形□(かたつき)′岩窟(いわや)′紙船崎(かんぶねさき)という所に出るBまた大津久から東に[山中を]行けば′上西(かみにし)の燕(つばめ)(都万目(つばめ))に至るBある人が言うには′□(ふる)くは都万(つま)妻(め)と書いたB燕は昔′都万県主の□妻の領地であったというB燕へ行く中途で′路は北に分かれ′そこから五(ご)箇(か)の都万路(つまじ)村に出るBまた大(おお)津(づ)久(く)から山頭を北に越えれば′那隅(なぐ)村に至るB都万の□は土地が豊饒で′田園が多いBその境域は広く′村人は裕福であるB都万院と□したのは′昔 ′天子の御領であったからであるB彼の西□の城主と都万の県主とが威を競い□ったのは′この地が境□で′かつ人が富んでいたからであるB


考えて見れば, オチグンにはアマタケカナカヤノ-カミの祠堂がなければならないのに, まだそのあるべきな場所が分からない. もしかしたらこのTakadaのはく言うゴッイが. タケカナとTakadaのファフンは似ている点がある. だからこんなに記録することはしたが,それでもグェアするから, よく知り合いの意見を待つたい.

コウだジェントルマンの山を引き継ぐ, また何重だ峠が繋がれながら湧いている. 西の方には田園が開かれる, 卑しいが(ツマカと)が田園の間を流れる下がる. 田園で西の方方向は, 山すそは汲む泉水も遠く, 小さな村たちが諸所に点在する. 松林と竹林の陰にはわらぶきがある. それがイズミムだか西村田.

山がつながる所にセンコウジがある. 山重複で近寄ったようにお寺が立っている. そのお寺にはリンソウと呼ぶ位牌がある. それは (ササキキヨマサに亡びた) ホウゼンノ-

加美の諡号だと言う. お寺の山麓から洞にドルオガン所がツマの故郷だ. 西の方丘にはハチマングウ(今のアマタケカナカヤシンサ)があるのに, 古い松とするが

無価取り囲むある. 故郷は弛張や村老の家屋が軒を並んでして, 東で長く竝ぶある. 田んぼ道を南へ仮面′向こう側にナモリの高声が見える. ナモリの峰は高くて, 尾根も高い. 成績にはザンソックが多い. ホウゼンノ-カミの息子ヤジロウヨシヒデが暮すあった所だ.

動産で一布地(ツマがと)が流れる. 上流にはシデノ-イケがある. 日照りがドルオもその水流の止める事はない. 瑞山の外はもう海だ. 遠海にオンベシマがある. 馬加キノシマだと呼んで, そのコレサンコウ(□□ウヨシモト)が歌った島だ. また西の方の所産を間に置く海を臨んだ所に呉オッズ区という砲架ある. その故郷でブックサンを登って, 算定を移れば, カタツキ, これとよ, カンブネサキという所が出る. またオオツクで東に [山の中を] 仮面, 加美西のツバメに至る. どんな人が言うのを, 昔には 都(ツ)万(長芋)妻(担ぐ)路使った. 燕(ツバメ)増えた昔, 都(ツマ)万(ノア)県(伽陀)主(ノ-ヌシ) 本妻の領地だったする. 燕(ツバメ)に行く中途で, 道は北で割れる, ゴカのツマジムラで出る. また呉オッズ区で山斗を北で越えればナグムラに至る. ツマ村は土地が豊かだ, 田園が多い. その経営役割は広い村人は裕福だ. ツマインだと呼んだことは, 昔に天子の領地だったからだ. その間故友の城主とツマの玄酒が威勢を競争したことは, その地が険しい人が豊かだったからだ.



□★ 都万県の詳細□



註①′西里(西佐藤)増えた名所和歌に記録される位美しい村だ.

註②′西の岡の八(ハチ)幡(万)宮(旧友)増えた今の 天(多分)健(他するように)金(カーや)草(カーなの)ジェントルマン. 当時はただハチマングウの名前が普及される, もう使臣社の名前は忘れた.

註③′植(シデ)池(ノイするように)増えたツマヒョンを濡らすツマがと水原の池だ. 神聖な池だ, 幤(シデ)池(ノイするように)路記録する.


20202020



  • 最終更新:2011-07-05 18:03:20
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